『子どものそばにいたいそれが私の最初の一歩』

先日、私は大阪府三島郡島本町にある『水上隣保館 児童養護施設遥学園』を訪れました。

『子どものそばにいたいそれが私の最初の一歩』

この言葉とともに施設の創設者である中村遙・ 八重子夫妻の物語は、1930年代の大阪港における苦しい状況に立ち向かった勇気ある行動から始まります。

当時、大阪港には「はしけ」と呼ばれる小舟で、暮らす貧しい水上生活者が多く、特に子どもたちは飢えに苦しみ、学校に通うこともままならない状況でした。中村遙・八重子夫妻はこの現状を目の当たりにし、心を痛めました。彼らは自らにできることを考え、「何か私にできることはないか」と問いかけました。

その結果、1931年3月に大阪港区の天保山に  『大阪水上隣保館』を創設し、子どもたちを受け入れました。ここでは暖かい部屋や食べ物が提供され、学校へ通える環境が整いました。しかし、施設の運営は容易ではありませんでした。当初は社会からの理解が得られず、中傷や迫害に苦しむこともありました。

さらに、追い詰められるよう1945年の大阪大空襲で『大阪水上隣保館』は全焼してしまい苦境に立たされる中周囲の協力や縁を頼りに戦災によって被害にあった子どもや親を亡くした子どもたちの新たな楽園を付けるべきとして島本町に移転する決心をし多くの人が汗を流してやっとの思いで山崎の天王山に開墾し現在にも続く施設をつくられました。

遙先生は27歳でこの施設を立ち上げ、生涯を通じて子どもたちのために尽力しました。彼は隣人愛に基づき、亡くなるまで何度も手を差し伸べました。 

現在の『大阪水上隣保館』には、遙先生や他の多くの献身的な人々の物語が詰まっています。彼らは自分自身のためではなく、誰かのために尽力し、子どもたちの未来を支えています。

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